折形には、神道(自然信仰)が背景にあるようです。
折形に出合うまでは、あまり身近なものとしてとらえていなかったのですが、
のし袋にも見られるように、実は、私たちの暮らしの中や物事の見方にも
しっかりと根付いているものだったということがわかりました。
毎年神社にお参りに行くのに、身近でないはずはないですね^^
自然を愛で、自然とともにあろうとする私たち日本人の
DNAに組み込まれているものなのかもしれません^^
そんな神道のことばに、惟神(かんながら)というものがあります。
かんながら(かむながら)を広辞苑で引きますと、
「な」は格助詞の「の」に同じ、「から」は性質の意。
① 神でおありになるまま。神として。
② 神の御心のままで人為を加えない様。
※人為とは、自然の状態に人が手を加えること。
とありました^^
では、「自然な状態」とはどういうことなのか…
「自然」についても調べてみましたら
「おのずからそうなっているさま。人為の加わらぬさま」「本質、本性」
「人間を含めて天地間の万物。宇宙」というものがありました。
ということは、「かんながら」とは、
ありのままの状態、本質ということになり
かんながらの道とは、それに至る道ということになるでしょうか。
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さて、私たち人としての本質、自然なありのままの姿とは
どういうものなのか…?
この世に生を受け忙しい社会の一員となっていく段階で、
私たちはいろいろな感情を纏い、本質から離れてしまっている気もします。
そして、私たちの住む、この地球の自然なありのままの状態とは?
どうしたらもとのありのままの姿になれるのか…
本質、本来の姿に戻っていく、戻していく…。
今、世界が混沌としている中、このことを考えるのはとても大切だと感じます。
折形の奥深い背景を通して、自身の体験を通して
少しずつ考えてみようと思います^^